◆第6回:バイオリージョナリズムについて
バイオリージョナリズムなんて、なんだか良く分からない英語を使って、みっちゃんは何を言い出すんだ、と思っている読者、要は『地元意識』の事なのだ。
英語としては、1970年の半ばに造語として使われ始めた言葉で、自分の住んでいる場所に対する深い理解から来る知恵の再認識の事を言う。
バイオリージョンという言葉を定義付けると、『水源、地形、植物の生態、動物の生態、その地域で培われてきた文化、などにより境界を明瞭に示された地理的な地域』となる。
アメリカのワシントン州とかカナダのブリティッシュ・コロンビア州とかは人間が区分けしたリージョン(領域)であるが、もし、2つの州の水源や地形などの右記の条件が同じなのであれば、それは一つのバイオリージョンとみなされる。
バイオリージョンに対する理解を深めることは、より人体と社会の健康、ひいては環境全体の健康に繋がるのだ。北米では1985年の時点で60〜70の地域がバイオリージョナリズムのアプローチを取り入れている。
ここ10年程で、先進国のスーパーマーケットやデパートでは、どこの国に行っても同じ様なものを見掛ける様になった。カリフォルニア産のブロッコリーにメキシコ産のアボカド。
インド産の木綿製品に、中国産の衣類等。一体どんな条件下でそれらが生産されているかも分からない状態だ。
もし、これらの製品が不法労働を強いられた貧しい人々の手によって生産されていることが、明確に分かっていたら、製品の購入を躊躇する読者も出てくるのではないだろうか。
また、よその土地で採れたものを購入することによって、お金はその土地の経済を潤すことになり、自分の住む地域からお金が流出することにもなる。
更に自分のコミュニティーなら、不法労働などの不透明さも明確になるから、商品を購入するときに選択しやすいだろう。
バイオリージョナリズムとは、自分の住む土地に対して、意識的に生活すると言う発想だ。そうすることにより、地球環境を守り、経済を活性化することができる。
例えば、米について考えてみよう。地元の経済を潤すために、地元で採れた米を購入すると仮定する。
最終的に自分の口にするものだから、その水田に引かれる水質や、米に付く害虫、それを食べてくれる鳥や虫の事などの生態系の仕組みに少しは意識を向けるようになるのではないだろうか。
川が汚染されれば、それは生態系に直接影響が出る。人間も生態系の一部だから、最終的には我々の健康を害することになる。この様な観点から、地元の環境を守る行為が自然に起こる様になる。
バンクーバーとプリンスルパートの真ん中辺りにあるベラ・クーラでは原生林を含む大規模な伐採が行われている。
地元の失業率は五〇%なのに対し、きこりの80%は地元民ではないという。そして、伐採された木の90%は5百キロも離れた南部に運ばれ加工される。従って、地元が請け負う仕事は殆ど無い。
この様に、経済行為は地元と全くかけ離れた所で行われているため、地元にとっては天然資源の枯渇とさらなる貧困を招くだけだ。
その土地の事を知らない人々が来て、木を伐ったりするから、その地域にどれだけの木が残っているかなど知りもしないし、気にもしない。
これは、林業のみならず、他の第一次産業に共通して言える事だ。自然の営みと人間の営みを別けて考える所に落とし穴がある。人間は生態系の一部なのだ。人間が自然を操る事などできないことに、そろそろ気付く時なのではないだろうか。
貿易の自由化が急速に進んだ現代において、「何を今更古臭いことをいっているのだ」と思う読者もいるかもしれない。ほかの地域や国の製品を輸入することは、物質的にも、ある意味では精神的にも我々の生活に豊かさを与えるのかも知れない。
しかし、それは各地域がそのバイオリージョンの中で、バランスが保てて初めて成り立つ話だ。各国助け合って生きて行くことは大切だが、まずは自分の周りのあらゆる命と助け合うことも重要なのではないだろうか。
地元で生産された作物や、加工された製品などを進んで購入することが、地元経済の活性には有効だ。
また、輸送に係るエネルギー消費量や、それに伴う大気の汚染などの点から言っても、環境に一番優しい消費形態と言える。
地球全体が汚染されてしまっている今、一人一人が自分の住むコミュニティーに対する理解を深め、自然と一体になって暮らすことを意識的に行うことで、環境に与える悪影響を最小化することができる。
世界中のことはわからなくても、せめて自分の周りの事なら理解しやすいだろう。
世界は小さな一つ一つの地域が集まってできているものだ。それぞれの地域の住民が、意識的になることで地球の環境を、全体的に改善の方向に導くことができるのではないだろうか。
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