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第8回経済と環境

 『エコロジー(ECOLOGY )』も『エコノミー(ECO-NOMY)』も共に、エコ(ECO)という接頭語で始まる。このエコ( ECO )とは、ギリシャ語のOIKOSが変形したもので、『家( HOME ) 』という意味がある。
 『エコロジー(ECO-LOGY ) 』のLOGYは生きるための知恵を意味する。ゆえに、エコロジーとは地球という家に住むあらゆる生物間の相互の影響に関する勉強のことを言う。

 また、『エコノミー( ECO-NOMY )のNOMYはギリシャ語のNOMOSの変形で、生きるための規律のことを言う。

 本来は、地球という家に生きるための規律、の意味を持つにもかかわらず、近代では『人類が共同生活においてその必要とする財貨を獲得利用する活動と、これによってできる社会的つながりのことを意味する。』と旺文社の国語辞典は定義付けている。

 日本語で経済とは「経世済民」という言葉が略されたもので、民衆を救うために世を治めることを言っていた。しかし、現状は民衆を救うどころか、一部の人のみが多大な利益を得て、分かち合いではなく奪い合い(競争)によって世は益々乱れる方向性に向かっているように見える。

 1995年に経済開発機構がまとめた先進国の1人当たりの国民所得を見ると、日本はスイス、ルクセンブルグに次いで3位、カナダは18位となっている。

 日本政府は日本人の生活が豊かになった、と言う解釈を発表していたが、物質的に豊になった日本人の筈なのに、なぜ心の内側に豊かさを感じられないのだろうか。また、国民所得は日本よりずっと少なくともカナダの生活に大きな豊かさを感じる読者も多いのは一体何故なのだろう。

 我々は今までの物質中心的な経済の在り方を変える時代に突入している。現在の経済の問題点をここに上げてみよう。

1 限りある天然資源を使いながらも、限りない成長を追い続けている。限りない成長を達成するためには、製品に競争力を付けなければならない。つまり安い価格を付けることになる。

 その価格にはその資源を再生するための費用は含まれていない事が殆どだ。やがて枯渇すると見られている石油の様な再生不可能な資源については、次世代のことも考慮して長期的に観た正当な価格を付ける必要性がある。

2 大量に消費し、大量な廃棄物を出すことが当たり前の様に行われていること。経済の活性化と名を打って、大量消費活動が当たり前に行われている。

 その結果として、毎日ごみの埋め立て地を質の低い製品が埋め、河川や大気は汚染されてゆく。製品の生産課程で生じた汚染を元通りにするための費用は、競争力を落とすため製品価格や会社運営の予算に組み込まれていないことが多い。

 したがって、その修復にかかる費用を汚染した者が支払うような仕組みを社会に浸透させることが急がれる。

3 科学技術の進歩に対して、楽観的な見通しと過度な期待があること。致命的な病であった結核が科学の進歩で治るようになった様に、環境問題も科学技術の力でどうにかなる時代が来るだろうという、非常に不確かな楽観的な期待が経済界の中であるようだ。

 これは人間を生態系の一部とは見ずに、人間が自然をコントロールできるというおごりの元に成り立っている発想だ。

 環境と経済は表裏一体だ。経済の在り方が、現在の環境を作り出している。環境全体を考慮した経済活動を行えば、バランスが取れるのだが、なぜか経済だけが一人歩きをしまっている。

 アメリカの先住民の酋長の言葉。『この川から鮭が1匹もいなくなったとき、あなた方は、初めてお金が食べられないと気付くであろう。』とあるように、現在の経済を支えているのは天然資源だ。回りにあるもの見渡すと、全てのものが天然資源に関わっていることを改めて認識できることと思う。

 コンピューターのような全く自然とは関係の無いような物でさえも、それぞれの部品は天然資源から作られているのだ。

 一般的に人間は汚れたものをきれいにすることに金銭をつぎ込むことに積極的だ。しかし、汚さないようにすることのほうが、経済的にみても少ない費用で、環境にとっても優しいアプローチだ。他の命に敬意を払った生き方をすれば、それは自然に理解でき、行動出来ることだ。

 本当の豊かさは、物質的なものでなくて、心の内側の豊かさなのではないだろうか。あらゆる人や動植物たちとお互いに助け合って行くと言う、真の意味での経済に向かって生きていこうではないか。

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